坂の多いこの町では、駅へ向かう下り坂、家へ帰る上り坂と、毎日のように空を見上げる機会があります。
特に、晴れ渡る空にフワフワと浮かぶ雲を見つけると、なぜか泣きそうになるのです。
それは、父との最後の会話を思い出すから。
2024年:お正月に交わした父との言葉が最後になるとは
2024年のお正月、父と電話で話したあの時間が、まさか最後の会話になるとは思いもしませんでした。
父は空を見るのが好きで、私も同じように空を眺めるのが好きだと話すと、こんなやりとりがありました。
私は龍の形をした雲を探すのが好きなんだ~。
今年は年女だし龍の背中に乗って飛び回るんだ~!
ははは。そりゃーすごいね!
その会話の明るさが、今でも胸に残っています。
還暦を迎える年女の私-将来のことを話した時間
お正月の電話では、これからの私の生き方についても話しました。
両親は、妹が住んでいる家から車で1時間ほどの場所に住んでいたのですが、父が87歳の時に、妹の家からスープがが冷めない距離に、家を買い替えて移り住みました。
高齢になったための決断ですが、妹の側だし、離婚した私を心配して、いずれ私がここに住めばよいという気持ちもあったようです。
とてもありがたい話なのですが、私はその家に住むことを将来の選択肢から外す決断を固めていたので、その理由を伝えました。
(いくつかある理由の中で一番大きな理由は、馴染みがない土地だからです。)
そして健康に気を付けて労働寿命を延ばしたいと思っていることも話しました。
それが一番いい!
父は、明るくエールを送ってくれました。
私を信じ支えてくれる父の言葉が心に響きました。
人生の節目(還暦)と父の旅立ち
その会話から1か月と少し後、私は60歳を迎えました。
還暦という新しい人生の節目に立ち、前向きに生きようと考えていた矢先、父が突然この世を去ったと連絡を受けました。
数日後には父の94歳の誕生日を祝うために帰省する予定だっただけに、衝撃は計り知れませんでした。
してもらってばかりで親孝行らしいことは何もできないまま、お別れになってしまったのです。
父が教えてくれた大切なこと
私が結婚したばかりの頃の、忘れられない父の言葉。
何だかいつまで経っても、親孝行できなくてごめんね。
親孝行できたなんて人は滅多にいないよ。
親に返せなかったことは、誰かに返せばいいんだよ。
父が残してくれたその言葉を心に刻んで、ささやかながら誰かに何らかの形で返すことができればと思っています。
今でも、空を見上げるたびに、泣きそうになります。
そして父の笑顔と最後の会話を思い出すのです。
半年前に送ったお守り
葬儀が終わり、主が不在となった父の部屋を覗いて、また泣きそうになりました。
父のデスクの横に、半年前、私が送った、お守りが置かれていたのです。
しかも、お守りが入っていた袋まで置いてあったのです。
そのお守りを持ち帰り、いつも持ち歩いています。
Memory-Elaine Paige
夜明けがくれば、この夜もまた思い出になる。
そして新しい日が始まる。
To be continue!!
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