93歳の父から学んだ「人生の終い方」長生きの幸せと切なさ

若かりし頃の父が煙草をくわえている画像 老いを考える

🔹はじめに

若かりし頃の父・乗り物が好きでした。

好きなものはタバコと乗り物。子供の頃の夢は蒸気機関車の運転手だったそうです。

昨年、父が旅立ち、一周忌を終えました。

思い出を振り返りながら、父が教えてくれた生き方や死に向き合う姿勢について記します。

長生きへの憧れと、その裏側にある切なさについて、自分自身の考えも交えながら綴っていきます。

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🔹石橋を叩いて渡る慎重な父、でも時代の先を見ていた

兄と私と父の車スバル(私が生まれたころの写真)

兄と私とスバル。

私の父は、何事にも慎重な性格でした。

まさに「石橋を叩いて渡る」タイプです。

でも、そんな父には意外な一面もありました。

昭和30年代に株取引を始めたり、いち早く車に乗り始めるなど、時代の波に敏感な人でした。

慎重でありながらも、リスクを十分に考慮して、決めたら行動に移すのが早かったように思います。

若かりし日の父と兄と妹と私

父と子供たち!

父は社交的ではなく、人付き合いは好きではありませんでした。

弱い立場の人には優しく、一方で図々しい人は苦手でした。

そして頑固な一面もありました。

母には厳しいのに、子どもには甘い人でした。

慎重で真面目ながらも、根がマイペースな自由人の父は、サラリーマン生活は窮屈だったと思います。

私は、図々しい人が苦手なところ、マイペースな所は父に似ていると思います。

でも、石橋はちょっとしか叩なかい慎重さに欠けるタイプです。

 

🔹倹約家だけど、人のためには惜しみなく使う父

父がブドウが入っていた木箱に包装紙を貼って作ってくれた箱

5歳の頃、父が葡萄が入っていた木箱に包装紙を貼って作ってくれたお気に入りの箱!

父は、人のためにはお金を惜しまず使う人でした。

でも、自分のためには必要なもの以外は一切使わず、極めてシンプルな生活を好み、贅沢には興味がない人でした。

父が大好きだった私が作ったジンジャークッキー

父が好きだった私が作ったジンジャークッキー!クリスマス・父の日・お誕生日に送っていました!

例えば、父の日に贈り物をしても、後日お礼として返ってくるもののほうが高価であることが常でした。

「人に何かする」のは得意でしたが、「人に何かをしてもらう」のは苦手な人でした。

🔹「迷惑をかけたくない」父の終活と断捨離

わたしの七五三

私の七五三!

そんな父らしく、自分が亡くなったときの準備も完璧でした。

どの葬儀場で、どのプランにするかまで決めてありました。

無駄なものは残さないよう、断捨離も徹底していました。

亡くなる約半年前、孫が結婚式の招待状を渡したときも、「礼服は断捨離した」と言ったそうです。

その徹底ぶりには、家族も驚かされました。

🔹読書から学んだ死生観・父が愛した作家たち

成田山・ハウステンボス・雲仙普賢岳・住吉大社・父に連れて行ってもらった場所の写真

18歳から1人暮らしを始めた私・帰省した時、あちこち連れて行ってもらいました。

父の部屋には、あまり物は残されていませんでしたが、本はたくさんありました。

特に、五木寛之さんや曽野綾子さんの本が多かったのが印象的です。

おそらく、同年代の友人や知人が次々と旅立つなかで、同年代の作家たちの死生観に触れることで、自らの生き方や終末への向き合い方を模索していたように感じます。

静かに本を読みながら、人生の終い方を模索していたのかもしれません。

父は音楽も好きでした。

特に好きだったはショパンの『雨だれ』です。

🔹90歳を超えて感じた体の衰えと、長生きの切なさ

66歳の父と娘。

66歳の父と娘。

90歳までは元気だった父も、それを境に急に足腰が衰えていきました。

最近では**“健康寿命”**という言葉もよく聞くようになりましたが、父はまさに90歳を境に健康寿命が終わるような感覚だったのかもしれません。

大きな病気はなく、病院に通うこともありませんでしたが、きっと自分の身体の寿命を感じていたのでしょう。

次第に「もうすぐかもしれない」という不安や、誰かに頼らざるを得ない状況への葛藤を抱えていたのではないかと考えます。

その中で、長生きの望みとは裏腹に、老いゆく現実の厳しさを改めて認識していたのかもしれません。

人に迷惑をかけるのが嫌いだった父。

亡くなる、その日まで「自分でできることは自分で」を徹底していました。

でも、年を取り自分でできないことが少しずつ増えて、誰かに頼らざるを得ない日々は、辛いことだったかもしれません。

🔹長生きすることの幸せと苦悩・父を見て考えたこと

父(68歳)と娘(2歳)がゴーカートに乗っている写真

(父68歳・娘2歳)頭が下がるほど娘にも良くしてもらいました。

私はずっと「長生きしたい」と思っていました。

でも、父の生き様を目の当たりにして、長生きには計り知れない切なさも伴うのだと痛感しました。

大切な人が次々と旅立っていくこと

少しずつ身体が衰えていくこと

そして、誰かの手を借りることへの葛藤。

父が93歳まで生きてくれたことで、見せてくれた「人生の終い方」

それは、単に終末を迎える方法ではなく、生きる上で大切な価値観や、他者への配慮、そして自分自身とどう向き合うかということを教えてくれました。

🔹親孝行だった父、そして子孝行・孫孝行までしてくれた

縁側でタバコを吸う90歳の父

大好きなたばこを喫煙中の父(90歳)亡くなる当日まで電動自転車を乗り回していました。

そんな父は、親孝行もしっかりしていました。

そのうえ、子どもにも孫にもたくさんの愛情を注いでくれました。

離婚の報告に実家へ帰省した時も、何も言わず受け止めてくれました。

私は、父にたくさんのことを教えてもらい、たくさんの愛情を受け取りました。

今は、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。

毎朝、神様に手を合わせて父のことを祈っています。

だんだん自由に動かなくなった肉体から抜け出した父が、あの世を楽しんでいますように!

もう十分、心配をかけたので、あの世から見守ってください…

なんて願えないのです。

猛烈サラリーマンだった父。

57歳でリタイアして93歳まで悠々自適な暮らしを実現しました。

私は父のようにはいかないけれど…

これからの人生は自分の価値観を大切にして『自由に生きる』ことが目標です。

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情けないです。

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コメント

  1. HAWK2700 より:

    そうなん?
    親より長生きするだけで親孝行やで.
    しっかりしていると思いますよ.きちんと親御さんを見てはります.
    俺,親孝行はしなかったけれど,面倒を見たという気持ちです.

    • Silverよしこ Silverよしこ より:

      優しいコメントありがとうございます!
      そっか!!
      少しは私も親孝行をしていたんですね!
      『親孝行』と『親の面倒を見る』って、似ているようで違いますよね。
      私は、親と離れたところで暮らしていたので、面倒は全く見ていないのです…
      親の面倒を見るのは、親孝行よりも、
      日々のサポートや気遣いが必要で、ずっと大変で尊いことだと思います。
      きっと、親御さんは、感謝の気持ちでいっぱいだったと思います。

      私は、このブログを始めてもう少しで半年になるのですが、
      初めてコメントをいただきました。
      ありがとうございます。
      とっても嬉しかったです。

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